江戸時代から始まり、長きに亘り地域医療を支えてまいりました。
天保時代、5代目宮﨑通泰(みやざき つうたい)が川越藩沼田道意に医術を学び、江戸で御典医の太田玄礼や長崎にて蘭方医を学ぶ。後に東秩父村安戸にて号を娯山堂・楽水と称し、医師として治療に当たる一方で私塾を開き、国学を教えました。
8代目医師の宮﨑犬丸は、大河原村安戸にて寺小屋を開き多くの門下生に学問を教え、大正8年秩父郡郡会議員に選出されました。
その功績を称え、地域住民有志の発案、寄付にて上品寺境内に銅像が建立され、その右手には医師を象徴するかの様に聴診器が握られています。
昭和に入り、時代の変化と共に9代目宮﨑星麿からは産婦人科医療として女性の一生に携わることとなり、昭和26年に宮崎病院を設立。
その後、10代目宮﨑通泰が平成9年に東秩父村で開設した介護老人保健施設設立を機に介護福祉の分野にも支援の裾野を広げ、現在の女性の一生を通した問題である妊娠、出産、子育て、介護に携わり支援を行っております。